こんなことやって意味あるの?という思い癖に気づく
ブログなんて書いて意味あるの?
何かを始めようとすると、すぐに頭の中によぎるワードがある。
「こんなことやって意味あるの?」
ブログを書くという行為についても、そう。すぐ立ち止まる。
・私なんかがブログを書いてなんの意味があるの?
・誰が読むの?
・読まれないブログに意味はあるの?
・タイトルどうするの?カテゴリーどうするの?
・そもそも何が書きたいの?
自分で自分のことが、本当に面倒くさい。
結局何年も、なんとなくブログを書きたいという思いがずっと私の奥底にあったにも関わらず、無駄な思考が私の行動を止めてきたのだ。
Point
思考はときに、邪魔な道具だ
やりたい!という衝動に、そもそも意味なんかない
そもそも、「なにかをやろう!」って思うときに、意味なんてあるのだろうか?
〇〇のために、□□をする。
人はなぜだか、こういう思考展開で、なんでも片付けようとしすぎる気がしている。
「〇〇のために」というのは後から付け足した思考にすぎなくて、本当は「□□したい」というシンプルな思いだけでコトは成り立っている。
私の場合は、なぜだかわからないがブログを書きたいとずっと思っていた。
Point
「なぜだかわからない」がポイントであり、すべての行動の核心だ
よく考えてみたら、「やりたい!」と思ったことの多くは「(なぜだかわからないが)やりたくなった」だけのことなんだ。
なんのために?←コレ、いらない。
ここでいちいち立ち止まるから、なにひとつ前に進まないのだ。
書きたいと思っていたから、書く。やってみる。これだけでいい。
きっと、ここから、なにかが開けていくのさ。
「(なぜだかわからないが)やりたくなった」の衝動に身を任せて進む、これが第一歩。
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